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褒めるって必要?

日々のできごと

子供の頃のわたしはそうそう褒められることも無かったと記憶しています。きっと全体がそういう時代でした。

「褒め教育」なんていう言葉が浸透してきたのはいつか分かりませんが、私が大人になってからのように思います。

だから時々、褒めることってそんな大事か?と思うことがあります。

実際に3人の子どもたちを褒めると性格的にリアクションは様々ですけれど、特に次女はドヤ顔をしたりなんかして自信満々です。

そしてまた褒められたいから同じことを繰り返す。

やっぱりこういう姿をみると、褒め方って大事だなと考えさせられます。

褒められるために、そうでないことに関しては隠したり適当にやったりしないかと心配したりもします。

こう思ってしまうのは、きっと私が無意識にもそういう子供時代を過ごしてきたからなのかもしれません。

だから、日常は大げさではなく適度に「できたね」「頑張ったね」くらいでいいのではないかと思っています。

そして私は「褒められる」ということにも上手く適応できていない気がします。

というのも、普段私は関わり合っている物事において第六感のような感覚で「あれは大丈夫か?」と心配事や課題をぐるぐる思い悩み打開していきたい、といった精神的なものを持っています。

そんな性質をもっていると、褒められた直後はその第六感が私の中で一時止まるような気がして、コントロール開始までに少々時間がかかるのです。

だから図に乗ってしまう自分を「いかん、いかん」と抑制する時間を持つようにします。

(だからといって褒めていただきたくない訳ではありません!)


でもこれは、大人になって、母親になって、仕事をして、時に役員をやって、といったいろんな役割を経験して各々の責務が生まれてから感じるようになってのこと。

子どもの頃褒めてもらえるシーンにおいては、こんな複雑感は全然なくて、純粋に嬉しくて、自信となって、向上心も湧いていました。

先日長女が7歳の誕生日を迎え、プレゼントとして「ほめほめカード」というものを買ってみました。

褒めることに対して少し釈然としない私ですが、褒めるという文意が「認める」「勇気づける」ということと捉えると、ストンと腑に落ちるように思います。

「できたね」「頑張ったね」と、サラッと認める日常にプラスして、誕生日には「ほめほめカード」で具体的に自分が認められている内容が聞けたら素敵だなァと思ったのと、その内容が年ごとに変わっていけるのもまた見返した時に面白いのではないかと思ったのと。

認めてもらうことがあってこそ、注意したり叱られたりすることも許容できるし、納得できる。そういう精神的なものもあります。

模索しながら子育てをしている中ですが、子どもたちは「褒められる」ということによって自分を認識したり、理想と比べたり、時に周りを助け信頼を築いていったりしながら成長していく毎日を送って欲しいと思っています。

そしてこれって大人も同じなのではないかと思います。

幾度ともなる失敗が許容される環境に身を置いていない大人において「褒められる」ということは、シーンによって深く勇気付けられ、胸を張って誇らしく過ごすことができたり、家族や所属するチーム、組織において得意を発揮できたりするものだと思うようになりました。

「褒める(認める・勇気づける)」って、そういう意味では子供だけでなく大人に対しても大切なことのように見つめ直している今です。

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